カテゴリ:劇場鑑賞( 140 )
   
暗いところで待ち合わせ
    2006年 10月 30日
【パピヨン24 ガスホール】 ※試写会
 交通事故で視力を失ったミチルは、障害にもめげず、最愛の父と2人で幸せに暮らしていた。しかし、その父も突然の病で他界してしまい、彼女は独りきりになってしまう。そんなある日、殺人事件の容疑者として警察から追われている青年アキヒロが突然、彼女の家に忍び込んだ。彼はミチルに気づかれないように、息を潜めて居間で暮らし始めるのだが..

 田中麗奈の全盲の演技も含めて、全体的に丁寧な作りが印象に残る感じの良い作品だ。ただ欠点も目に付く。最も違和感があったのは、ミチルが「謎の同居人」の存在を確信したとき、あっさりと彼を受け入れる点だ。決して危険人物ではないと判る演出はなされているが、それでも不法侵入者であることにかわりはない。少なくとも気味の悪さが先立つ方が当然だろう。このシーンを自然なものにするためには、盲目の身で独りぼっちになってしまった彼女の圧倒的な孤独感、誰かの支えが欲しいという渇望を鮮明に描いておくべきだった。その意味で、唯一の理解者であった親友と喧嘩別れしてしまうシーンは、もっと前に配置しておくとよかったかもしれない。

 今回の田中麗奈は盲目という役柄に合わせて、ほとんどノーメイクで髪型にも無頓着。そのせいで、見た目がデビュー直後の『がんばっていきまっしょい』や『はつ恋』の頃のイメージに戻った感じだ。個人的には、舞台挨拶で見たメイクばっちりの本人よりずっと魅力的に映った(笑) その際に彼女は「映画の感想はぜひBBSやブログに書き込んで、広めてください」と言っていたのだが、こんな感想でごめんなさい。

暗いところで待ち合わせ@映画生活

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父親たちの星条旗 "Flags of Our Fathers"
    2006年 10月 30日
【ユナイテッドシネマ キャナルシティ13】
 太平洋戦争末期の1945年2月、硫黄島では日米両軍による死闘が繰り広げられていた。最終的に物量に勝るアメリカ軍の猛攻により硫黄島は陥落したが、その際に撮影された「摺鉢山に星条旗を掲げる兵士たち」の写真は大反響を呼び、厭戦気分が広がりつつあったアメリカ国民の戦意高揚のため利用されることになった。そして、写真にたまたま写された3人の兵士たちは帰国を命じられ、国家の英雄として熱狂的に迎えられるのだが..

 冒頭の「戦争を知らない人間ほど、戦争について語りたがる」の台詞が心を離れない。この言葉に象徴されるように、人々を欺く戦争プロパガンダの汚さを痛烈に批判した映画だ。このテーマは現在のブッシュ政権にも通じるものだろう。「悲惨な戦場」と、そんな実情は知らず「戦勝気分に浮かれる国内」という構図も現在と同じ。となると、映画のアメリカでの反響が気になるところだが、おそらく保守派を中心にかなりの反発を食うのではないか。実際にアメリカのヤフーでユーザーレビューを覗いてみたところ、はたして「AかFか」といった感じで評価が極端に分かれている。いずれにしても、このような微妙なテーマを取り上げて、映画を完成させたイーストウッド監督の勇気には賞賛を贈りたい。

 反戦映画というと、安っぽいセンチメンタリズムに陥ったり、感情的に戦争反対を叫んだりというパターンが少なくないが、この『父親たちの星条旗』はその様な作品とは一線を画した、イーストウッドの終始クールな演出ぶりが光る映画だ。凄まじい戦場描写の印象も相当に強烈なのだが、本来の主題である「政治の具として翻弄された兵士たちの悲哀」は、観終った後も深い余韻となって静かに残り続ける。

父親たちの星条旗@映画生活

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地下鉄(メトロ)に乗って
    2006年 10月 27日
【ユナイテッドシネマ福岡】
 絶縁状態だった父親が危篤だという知らせを受けたある日のこと、衣料品会社の営業マン 長谷部真次は、いつものように地下鉄で移動中、突然、亡き兄の姿を目撃する。兄の背中を追って駅を抜けると、何とそこはオリンピックに沸く昭和39年の東京だった。やがて無事に現在へ戻ってこられた長谷川だったが、今度は恋人のみち子も一緒に昭和21年の東京に紛れ込んでしまう。そこで彼が出逢ったのは、終戦直後の混乱の中、したたかに生きる若き日の父だった..

 『はつ恋』、『昭和歌謡大全集』、『深呼吸の必要』、『欲望』..と好きな作品が多い篠原哲雄監督の新作なので、大いに楽しみしていたのだが、正直、今回は期待はずれ。

 親子の確執と和解をテーマにした映画は少なくないが、こんな安直なお話は今までお目にかかったことがない。普通は親子の少なくとも一方が歩み寄り、相手を理解しようと努力するもので、そんな姿に観客は感情移入し、また共感するのではないか。しかしこの映画の場合、息子は自分の意思とまったく関係なく、何度もタイムスリップを繰り返し、ご都合よく、今まで知らなかった父親の人生のハイライトシーンを目撃することになるのだ。いったい誰がこんな現象を起こしているのか?どこかに、ドラえもんでも隠れているのだろうか。ついそんなバカなことを想像して、私はすっかりしらけてしまった。

 論理的でない映画、理屈に合わない映画はぜんぶダメだと言っているのではない。しかし、このような「不思議なお話」を成立させるには、そんな「不思議なこと」が起こっても「不思議ではない」と思わせるだけの雰囲気を醸成させておくことが肝心だと思う。この点、この映画はまったく手抜かりだ。

 主人公の愛人役である岡本綾が絡むエピソードにしても、あれで感動する人もいるのかもしれないが、私には何とも倒錯的で、後味の悪さが残るものでしかなかった。

地下鉄(メトロ)に乗って@映画生活

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14歳
    2006年 10月 27日
【福岡市総合図書館 映像ホール・シネラ】
※ぴあフィルムフェスティバルにてプレミア上映

 2004年に自主製作映画『ある朝スウプは』でPFFグランプリに輝いた高橋泉&廣末哲万のコンビによる新作で、グランプリ受賞の特典であるPFFスカラシップの援助を受けて製作されている。
 
 福岡では『ある朝スウプは』は劇場公開されなかったのだが、私はアジア・フォーカスでの上映を観ることができた。ほぼアパートの一室で撮影され、主な登場人物は部屋の住民である同棲カップルに絞られた『スウプ』に比べて、今回はさすがに劇場公開作品だけあって?、ある学校を主な舞台に、14歳の多感な中学生たちと、かって14歳であった大人たちとの葛藤を描いた群像劇へとスケールアップしている。しかし、主人公たちが抱えるトラウマにもがき苦しむ様を容赦なく抉り出すような作風は前作から踏襲しているし、またキャストには香川照之や渡辺真紀子といったお馴染みの役者が加わっているが、核となるのは前作に続いて並木愛枝と廣末哲万(今回は演出と兼任)の2人だ。

 見応えのある力作で、私は満足した。ただ難を言うとすれば、非常にヘビィな作品だけに、もっと笑いを交えたり、観客が一息つける間を挿入することで、作品全体に緩急をつけてくれた方が、印象的な数々のシーンはいっそう際立ったと思うのだが。『スウプ』でも笑えるシーンこそ無かったが、長回しで撮られた食事のシーン等は絶妙の間になっていた。
 
 客席は3分の1程度の入りだったが、平日でしかも会場の交通アクセスを考えれば、よく入った方だと思う。上映前に「ぴあ」側から、「このような、ほとんど事前の情報がない作品をよく観に来てくださいました」と挨拶があった。本当にそのとおり。映画は来年春以降の公開予定。「福岡も含めて、全国での公開を目指す」とのことで、ぜひその実現を望みたい。

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カポーティー "Capote"
    2006年 10月 21日
【KBCシネマ】
 1959年、作家トルーマン・カポーティはある殺人事件を報じた新聞記事に目を留めた。カンザス州の田舎町で一家4人が惨殺死体で発見されたというもの。この事件に興味を掻き立てられた彼は、幼なじみの女流作家ネル・ハーパー・リーを伴い、すぐさま現地に取材へ向かう。やがて2人の青年が容疑者として逮捕され、カポーティーは拘留中の彼らに接近していくのだが..

 よくできた作品だとは思うが、(特にカポーティーと殺人犯ペリーとの関係性について)ちょっと綺麗にまとめ過ぎでは?という感も否めない。カポーティーの作家としての野心やエゴをもっと前面に出した方が、個人的にはしっくりいった。また、映画に描かれた体験がトラウマとなって、以後カポーティーは小説を書けなくなった..と映画は示唆しているが、私としてはあまり信憑性を感じない。
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 実はこの『カポーティー』とほぼ同内容の映画(原題"Infamous")が別に製作されており、アメリカでは今月劇場公開される。こちらでカポーティーに扮するのはトビー・ジョーンズという、日本では馴染みがない役者だが、その他のキャストは超豪華。ペリー役には新007が話題のダニエル・クレイグを起用。またネル役はサンドラ・ブロック。その他にもグウィネス・パルトロウにシガーニー・ウィーバー..といった具合。どうやら製作開始は『カポーティー』より先行していたようで、決して後追い企画ではないらしい。こちらも日本公開が待たれるところだ。

カポーティ@映画生活

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ワールド・トレード・センター "World Trade Center"
    2006年 10月 10日
【Tジョイ久留米】
 2001年9月11日、テロリストの手によってマンハッタンの世界貿易センター北棟にアメリカン11便が、南棟にユナイテッド175便が激突。港湾局警察官のジョン・マクローリンは直ちに同僚たちと現場に急行し、取り残された人々を救援するため、炎上するビル内部へと向かう。しかしその時、ビル全体が崩壊を始め、マクローリンたちは瓦礫の奥深くに閉じ込められてしまうのだった..

 自らの危険を顧みず「人を救う」とはどういうことなのか、シンプルかつ強烈に描いた映画で、私は単純に感動してしまった。あの炎上し崩壊するツインタワーを完璧な臨場感をもって再現したSFXは凄まじいが、基本的には、生き埋め状態になってしまった2人の警官が互いに励ましあいながら、ただひたすら救援を待つ..というハリウッドらしからぬ地味なお話である。これを、ここまで見ごたえのある感動的なドラマへ昇華させたストーン監督の手腕は評価されて然るべきだろう。

 この作品に関しては、オリバー・ストーンらしい政治的なメッセージや主義主張がまったく無いと批判する声が少なくないようだ。しかし、9.11という未曾有の大事件には未だ明らかになっていない事実があまりにも多く、現時点で総括するには無理があるし、断片的な事実だけを根拠に何らかの言及を加えることは危険でもある。私は今回のストーン監督の製作姿勢は正解だと思う。そう遠くない将来、この9.11について彼なりの解釈を交えた作品を撮る日はやって来るだろう。(実際、彼はそう公言していると聞いた)

 別の意味でショックだったこと..それはエンディングで映し出されたテロップ。決死の活躍で2人を救出した元海兵隊員は、その後、再志願してイラクで戦ったという。ここは正直ひっかかるんだよなあ..日本人としては。

ワールド・トレード・センター@映画生活

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記憶の棘 "Birth"
    2006年 10月 08日
【KBCシネマ】
 最愛の夫ショーンを亡くして10年、ようやく恋人ジョゼフのプロポーズを受ける決意がついたアナ。ところがある夜、2人の婚約パーティーに一人の少年が乱入し、自分はショーンの生まれ変わりだと告白する。最初は信じていなかったアナだが、少年は死んだ夫と彼女しか知らない出来事を次々と話し始めるのだった..

 ミステリーを期待すると肩透かしをくう映画だ。少年が生まれ変わりだというのは真実か、それとも狂言なのか?この疑問に対する解答は最後まで明かされない。正確に言えば、一応の決着は示されるのだが、「果たしてそうか?」という臭いを残したまま映画は終わるのだ。

 どれだけ年月が経とうと捨てきれない故人への想い、癒されない喪失感..その「せつなさ」こそがこの映画本来のテーマだと思う。ニコール・キッドマンの繊細で素晴らしい演技もあり、そういう雰囲気はよく表現されている。その意味で、何か重要な伏線か?と思わせぶりなショットを随所に挿入するなど、ミステリー色を強調した仕掛けは逆効果だったのではないか。

 アン・ヘッシュ(『ウワサの真相』、『6デイズ/7ナイツ』)にアリソン・エリオット(『この森で天使はバスを降りた』、『鳩の翼』)と、以前気になっていたのに最近見ないなと思ってた女優が2人も登場したのは得した気分。あと、『ホテル・ルワンダ』で献身的なボランティア役が印象的だったカーラ・セイモアも加えて、個人的に「脇の女優陣が豪華な映画」として記憶に残りそうだ。

記憶の棘@映画生活

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フラガール
    2006年 09月 28日
【Tジョイ久留米】
 昭和40年、エネルギーの需要は石炭から石油へシフトしつつあり、福島県の常磐炭鉱も閉山の危機に陥っていた。そこで炭鉱会社は町の活性化のため、地元の温泉を活かしたレジャー施設「常磐ハワイアンセンター」の設立を提案する。センターの目玉となるのはフラダンスのショー。早速、名門の松竹歌劇団にいたダンサー、平山まどかを東京から招き、地元の素人娘たちを相手にダンス特訓を始めるのだが..

 李相日監督といえば、『69 sixty nine』や『スクラップ・ヘブン』で「ケレン味たっぷりの映画を撮る人」という印象が強かったので、今回のような人情劇にはどうなのかな?と思ったが、オーソドックスながら、ツボを押さえたなかなかの感動作に仕上がっている。
 
 あえて難を言うなら、あまりに多くのエピソードを詰め込みすぎた点。例えば、ダンス教師が抱える借金問題のくだり等は不要な「脚色」だったのではないか。そのせいで、「果たして僅かな期間で、素人娘たちはプロのダンサーになれるのだろうか?」という本来のテーマが希薄になってしまった気がする。誰もが言うように、クライマックスのステージは素晴らしい見せ場なのだが、そこまでの繋ぎにもう一工夫欲しかった。

 しかし、このステージでの蒼井優は何とも艶かしく、途中までの泥臭い田舎娘の顔とは対照的で見事だ。彼女のデビュー作「リリィ・シュシュのすべて」の舞台挨拶で本人を見たことがあるが、その時の印象が悪かったこともあって、この売れっ娘の魅力が今まで解らなかったが、今回の映画で見直した。

 またダンス教師に扮する松雪泰子も素晴らしい。中でも、映画の冒頭で見せるダンスシーンは圧巻だった。ここを編集でごまかすのではなく、彼女が本物のダンスを踊って見せたことで、映画の説得力はずいぶん増したはずだ。もうそれほど若くない女性のくたびれた素顔を垣間見せているのもいい。これまで演技面で定評があるわけでもなかった彼女がこれだけの芝居を見せるとは、日本の女優陣もかなり層が厚くなったと言えるだろう。

フラガール@映画生活

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夜のピクニック
    2006年 09月 26日
【ユナイテッドシネマ キャナルシティ13】 ※試写会
 
 年に1度、全校生徒が24時間、夜をも徹して80キロの道のりを歩く伝統行事「歩行祭」。今回が最後の歩行祭となる甲田貴子は、重大な決心を固めていた。それは一度も口をきいたことがないクラスメイト、西脇融に話しかけるということ。実は2人の間には、親友にも話せない秘密があったのだ..

 心地よい空気感に包まれた映画で、私は好きだ。上映時間の大半が歩くだけのシーンで、その間、事件らしい事件が起きるわけではない。しかし当事者の高校生たちにとっては、そんな他愛ない出来事の一つ一つが結構大きなことだったりするんだろうなと思わせる。「去年、死体を見たよね」という話題で盛り上がるシーンでは、『スタンド・バイ・ミー』を思い出してしまった。

 ちょっと引っかかったのが、映画のキーであるヒロインが抱える秘密(すでに宣伝段階でネタばらしされている)がそれほど大層なものに思えないことで、そのためストーリーの骨格がやや弱いと感じたのだが、それは大人の視点から見ればの話であって、やはりあの年代の少年少女にとっては非常に切実な問題ということになるのかな..という気もする。

 ただ、映画の端々で唐突に挿入されるギャグシーンはいただけない。歩くシーンが延々と続く映画にアクセントをつけたい意図は解るが、いかんせんセンスが悪い。特に『プラトーン』のパロディと思しき場面。何の必然性があって、あれを入れたのか、まったく理解に苦しむところだ。

 ヒロインを演じているのが多部未華子。舞台挨拶で本人を見たが、格別に美少女というわけでもない。しかしスクリーンの中での彼女はずっと魅力的に映っているから不思議だ。ルックスだけが売りではない、「雰囲気のある女優」として、これから多くの観客の記憶に留まっていくことだろう。少なくとも私にとっては、『ルート225』と今回の作品ですっかりご贔屓の若手女優になってしまった。

夜のピクニック@映画生活

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13歳の夏に僕は生まれた "Once You’ re Born"
    2006年 09月 18日
【KBCシネマ】
 北イタリアの地方都市ブレシャ。工場経営者である両親のもと何不自由なく暮らす13歳のサンドロは、父親やその友人と地中海クルージングに繰り出すが、誤って夜の海に転落してしまう。すんでのところで彼を救出してくれたのは、不法移民がひしめく密航船に乗っていたルーマニア人のラドゥとアリーナの兄妹だった。やがて両親のもとに戻ったサンドロは、移民センターに保護された兄妹の救済を訴えるのだが..

 実は4月に東京で開催されたイタリア映画祭の会場で、この作品の監督であるマルコ・トゥリオ・ジョルダーナ氏と偶然ちょっとした接触があって、その際の彼の態度に好印象を持っていた。映画祭ではスケジュールの都合で予告編しか観られなかったので、この映画が福岡で公開されるのを待望していたのだけど、ずいぶん待たされたなあ。

 なんとも厳しい映画だ。
 何不自由なく裕福に育った少年が、不測の出来事をきっかけに、それまで知らなかった世界と出会い、生きることの厳しさを知る物語である。
 この手の映画でありがちなのが、不幸な人々を救いたいと願う純真な少年と、それに対して無理解な大人たち..という構図だ。その点、この映画は違っている。少年の両親は本気で不幸なルーマニア人兄妹を救済しようと動くのだ。しかし豊かな財力を持った彼らの力をもってしても、結果として兄妹を救うことはできない。それが現実。
 そして映画の終盤、ミラノ郊外のスラム地区で、サンドロがアリーナと再会する場面は衝撃的だ。少年が目の当りにしたのは、この年齢では受け入れがたい、あまりにも残酷な現実だった。

 ラストシーン、サンドロが3ユーロで買ったパニーノを少女に差し出す光景が忘れらない。父親の財力でも救えなかった彼女に、いま彼が与えられるのはこれだけなのだ

 この映画で描かれた不法移民たちのように、社会の底辺で虐げられている人々はあらゆる世界に存在する。善意の人たちが彼らを救おうと努力しても、それが非常に困難であることも、映画で描かれているとおりだろう。しかし、だからといって私たちはそれを放置していいのか?無関心でいいのか?いや、たとえ1人1人は微力であっても、私たちにもできることが何かあるはずだ。ジョン・レノンの「イマジン」ではないが、そうした多くの個人の力が一つに結実したとき、世界は変わるのではないか。このラストシーンには、監督のそんな想いが託されている気がしてならない。

13歳の夏に僕は生まれた@映画生活

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